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「褒める認める」より「貶す、低く見る」方が楽な理由

みなさま、こんばんわ。
継続途切れました。
言い訳はたくさんあります!でも、できていない事実を認めます。
今日は頑張る。

さて、今日の話は「褒める認める」より「貶す、低く見る」方が楽な理由です。

今日の私の心境そのものなのでとても描きやすい題材だなーと思っています。

みなさんはいかがでしょう?
自分を褒めていますか?認めていますか?

私は全くできていません。
どちらかというと貶(けな)したり、低く見たりして「自分なんて・・・」と思うことが多いです。

一見この行為自体、ストイックなように見えますよね?
でも、実際のところはかなり甘い対応だと最近は感じます。

なぜなら、自分を否定した方が自分が楽だと思うからです。

なぜか?
それは「できる自分を否定しなくて済むから」です。

自分はこれだけできないやつだから。。。と言って自分を低くすることで「だから出来なかった」と言いたいのです。
能力がなかったから出来なかった。だからダメだったのだと、理由をつけて納得したいのです。

でもそれはきっと「逃げ」だと思ってます。
現に前の会社にいた時にはその言葉でかなり逃げていました。

しかしその「逃げ」は物事を「解決」しません。
だって、能力を上げて臨もうという「気持ち」を出さなくても良い答えを用意したからです。
『自分の能力は低いんだからしょうがない』って。

出来なくて悔しがり、歯を食いしばって立ち向かってこそ、成長があります。
でもその機会すら自分から取り上げてしまう。

ただ、その生き方はとっても楽な生き方。
否定はしないです。だってそんなにストイックに出来ていないのだもの。
ポーズをとるぐらいしてもいいですよね。だってストイックに見えるじゃないですか?かっこいいじゃないですか?

だから、そういう気持ちになっても良いと思うです。

そしてたまに向き合う。5回逃げたら1回向き合う。それぐらいの塩梅でいいと思うのです。

今回のブログに関しても、一度長い間投稿が開いてしまいました。
2度目、昨日投稿できませんでした。
でも、前回は一週間以上開いたのに、今回は1日で復活できた。
これは成長だと思っています。
出来なかった自分に少し向き合えた、良い日だったと思っています。

責任を持つって凄い大変なことだと思うけど、自分なりの一歩を刻んでいけるといいなと思っています。

もし読者の方々で自分をよく貶す人がいるならたまに向き合って「認め」たり「褒め」たりしてあげる出来事を作ってもらえると、成長できた自分と出会える、そう思います。

お互い頑張っていきましょう。